加計呂麻バス物語

昭和55年。加計呂麻島初の陸上交通機関

加計呂麻島。
北西から南東へと細長く伸びたこの小さな島に、30もの集落が点在している。
そこに1,500人ほどの人びとが暮らす。それぞれの集落は、複雑に入り組んだ海岸線に沿った起伏の多い道によって結ばれている。
昭和55年8月、この島にバスが走った。加計呂麻バス有限会社の始まりだ。(当時の社名は林バス産業)加計呂麻島で初めての陸上交通機関だった。
当時ですら島の人口は2,400人ほどであったが、多くの離島や山村と同様に、過疎化・高齢化の波は止まる事はなく、経営は厳しかった。 しかし加計呂麻バスは島民の生活の足であり、無くすわけには行かない。これが現社長・林 範孝(はやし のりたか)の決意だった。本社を名瀬市(現・奄美市)から、島のほぼ中央に位置する瀬相へと移転した。
瀬相港は町営定期フェリーの発着港でもある。
林みずからがハンドルを握った。観光バスの運行も開始した。観光ガイドは運転手が兼任する。
お年寄りの乗降を助け、買い物の代行も引き受ける。
島には新聞販売店も宅配業者もないため、運転手が港に届いた荷物や新聞を配達する。 その一風変わった光景は幾度となくテレビ番組にも取り上げられた。
「過疎地の交通機関を取り巻く環境は、医療や介護と同様、社会問題と位置づけても過言ではない。我々は公共交通機関として、福祉の側面を持つ、地域住民と一体となった会社を目指す」これが林 範孝、加計呂麻バスの信念だ。